よく「論理的な人」を「理屈っぽい人」と勘違いすることがあるが、「理屈っぽい人」と「論理的な人」はまったく違う。
「理屈っぽい人」は一つの包丁でぜんぶ料理をすませようとする人のことである。
「論理的な人」は使えるものならドライバーだってホッチキスだって料理に使ってしまう人のことである(レヴィ=ストロースはこれを「ブリコラージュ」と称した)。
「自分の考え方で」考えるのを停止させて、他人の考え方に想像的に同調することのできる能力、これを、「論理性」と呼ぶのである。
論理性とは、言い換えれば、どんな檻にもとどまらない、思考の自由のことである。
上手な人は、楽しむことが本当に上手。いい料理屋を知っているとか、いいワインが選べるとかそういうのではなくて、どこに行っても何だか気負わない、場を楽しむのが上手な人。それができる人が一人いると、みんなでご飯を食べてもおいしくて、まわりもまた楽しめる。
中略
お金の使いかた、同じ金額のお金を使って、そこから得られる楽しみの量みたいなものは、やっぱり「能力」みたいなもので相当に左右されるのだと思う。
ひ 思想書を買う人は何で買うの? エロくないし笑えないし、電話帳や時刻表が好きな人みたいなジャンル?
東 思想書には最後にずしんとくる快楽がある
ひ 僕は自然科学の本が好き、思想書はオレはこう思うと書いてあるだけ、書いた人の意見を知るだけ
東 難しいですね
ひ 歴史は事実、科学は事実、思想は事実になっていない、論証しようという段階になっていない
東 反復可能な知と一回性の知は構造が違う、理系と文系の違いみたいなもの、科学は反復可能な知、哲学や思想が科学にならないのは当然、反復可能であることが学問の条件になって、反復できないものは外へ追いやられた
ひ やっとわかった、東さんこんなに汗かいて一生懸命説明して、みんな拍手!
(会場:大拍手)
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ニコニコ超会議「出張!ニコ生思想地図」ひろゆき×東浩紀 (via m-louis)
反復可能な知と一回性の知は構造が違う、理系と文系の違いみたいなもの、科学は反復可能な知、哲学や思想が科学にならないのは当然、反復可能であることが学問の条件になって、反復できないものは外へ追いやられた
非常にいい説明だとおもう。さて経済学は?
(via bgnori)
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『能力を持った人は努力する人に勝てない。努力する人は楽しむ人に勝てない』という言葉がある。この言葉の解釈はいろいろありうるが、私は、楽しむことによって、勝つ/負けるといった意味はなくなる、というところにポイントがあると理解している。(金成垣:東京大学社会科学研究所助教授)
上司が議論に物凄く強いと、部下は完全に論破されまくって上司の言いなりなるしかなく、しかも失敗した時も完全に論破されて全て自分の責任になってストレスしか感じないので、議論に強い人間は人の上に立つべきではない。
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Twitter / @dancing_eel (via rpm99)
別に上にたってもいいと思うけど、上司という立場にかぎらず「論破は人を説得する(できる)方法ではない」という当たり前の事実を心に刻むべきだと思う。自戒を込めて。
(via yoosee)
今読んでる『社会は情報化の夢を見る』(新世紀版「ノイマンの夢・近代の欲望」)に日本の企業の特徴について書かれていて、それによると日本企業の意思決定の特徴は「合意を形成する」ことにあるらしい。つまり議論のプロセスによって自分の意見を変えていき、最終的に全体でひとつの意見を「形成」するというものらしい。このやり方の良い面・悪い面はいろいろあるのだが、まぁそれはそれとして、そういうやり方に(まさに子供の頃から)慣れてる人たちにとっては上のようなタイプの上司はストレスなんだろうね。私は団体行動が苦手で(特に仕事の上では)淡々と自分の実利を追いかけて行くだけなので(嫌なら辞めるし)、上のような人もさしてストレスにはならないが。
(via hexe)
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今目の前のSEが「物理休暇と論理休暇があってね…」と話していて戦慄している。
「最初のフォロワーの存在が一人のバカをリーダーへと変える」。デレク・シヴァーズがTED2010でフォロワーの重要性を説いたスピーチ。
「スゴイことをしている孤独なバカを見つけたら。
立ち上がって参加する、最初の人間となる勇気を持ってください」
舌っ足らずな早口で大人に詰め寄ったかと思うと、まったく馬鹿なふりをして「わかんない」を連発し、「ごめんなさい」としおらしくしてみせる。
彼女が望めば空も飛べるだろう。学校はつぶれ、世の中の全てのウサギが血を吐いて死に、簡単に天地はひっくり返る。人を殺していいと思っている。どれだけでも、何を言ってもいいと。それはアリスが自分は傷ついていると思っているからだ。